イギリスの貴族が何をしようと、パリっ子たちはいっこうに驚かなかったが、今度ばかりはさすがの彼らも驚いた。
ある貴族が犬をお客にして晩餐会をひらいたのだ。
しかもその犬たちは、紳士淑女のごとく、靴・靴下にいたるまで当時のトップモードに身に包んでいたのだ。
この風変わりな貴族の名前は、第8代ブリッジウォーター伯・フランシス・ヘンリー・エジャートン。
彼はきわめて教養豊かな学者であり、芸術を深く理解し、しかもイギリス学士院の会員であったのである。
大英博物館に重要な古書の写本を寄贈したことでも名を残していた彼であったが、同時に奇行のある人物であった。
彼は毎日、毎日、新しい靴にはきかえ、脱ぎ捨てた靴を一列に並べさせてその数をかぞえて、過ぎ去った日数を知ろうとしていた。
また犬と晩餐会をしたことで分かるように、大変な動物好きであったが、翼をもぎ取った鳥を庭に放して、それを射撃の標的にするといったこともしてみせたのであった。
生涯妻をめとらず、1829年、彼の死とともにエジャートン家の家系は途絶えた。
パリのエトワール広場(現在のシャルル・ド・ゴール広場)に立つ、 世界最大の凱旋門、エトワール凱旋門 は、建築家シャルグランによって設計された。
ナポレオンとフランスの軍隊の栄光と戦勝を記念して、 1806年5月に起工。
30年の歳月を費やす大工事で、途中シャルグランは1811年に亡くなり、弟子のグールが後を引き継いで1836年に完成させた。
壁面の彫刻はフランソワ・リュードらによる有名な「義勇兵の出発」などで、古典主義とロマン派の合わさった躍動感豊かな一大彫刻群になっている。
現在もフランスを象徴するモニュメントであるが、今は外観が薄汚れていて、真っ白だった凱旋門は茶色にくすんでいるのが残念である。
ガルーゼル凱旋門 。1805年のアウステルリッツの会戦(三帝会戦)においての、 対オーストリア・ロシア戦の勝利を記念して建てられた。
パリのガルーゼル広場に 建築家ペルシエとフォンテーヌによって設計され、 1806年3月に起工し、 1813年に完成した。
エトワール凱旋門と比べて一回り小ぶりで、 ローマ市のセプティミウス・セウェールス帝凱旋門を手本にしたと言われ、 古典主義的な古風なデザインになっている。
リクエストにより碑文の内容を説明すると、
L'ARMEE FRANCAISE EMBARQUEE A BOULOGNE MENACAIT U ANGLETERRE UNE TROISIEME
COALITION ECLATE SUR LE CONTINENT. LES FRANCAIS VOLENT DE L'OCEAN AU DANUBE.
LA BAVIERE EST DELIVREE, L'ARMEE AUTRICHIENNE PRISONNIERE A ULM NAPOLEON
ENTRE DANS VIENNE.IL TRIOMPHE A AUSTERLITZ, EN MOINS DE CENT JOURS LA COALITION
EST DISSUTE.
ざっくり要約すると、
イギリスが主導する第三回対仏同盟に対して、ブーローニュの森に駐屯していた大陸軍は電光石火、ドナウ河を飛び越え、オーストリア軍に占領されたバイエルン(当時フランスの同盟国)を解放し、ウルムでオーストリアの軍隊を捕虜にして、敵首都ウィーンに入城した。そしてナポレオンはアウステルリッツで華々しい勝利を上げて、対仏同盟はわずか100日以内で崩壊したのだ。
といった内容である。
ルイ・ル・グラン凱旋門 (ルイ大王・ルイ14世凱旋門)通称サン=ドニ門。 太陽王の栄光を称えて建設されたもの。
ナポレオンが建設を命じて、それを生前に見ることができたのはガルーゼル凱旋門だけである。
彼はこの凱旋門を称賛したが、またサン=ドニ門の方が好きだとも言ったといわれる。
1819年まで、盲人用の文字は単にアルファベットの文字型を浮き出させたものが使われていた。
パリの王立盲人学院を創設したパラティーヌ・アユイは、奥行き7.5cmもある文字を布で作ったほどだ。
1819年、一人のフランス軍砲兵大尉が「夜間文字」と称する新しいシステムを考案し、それをパリの科学アカデミーに提出した。
この大尉、シャルル・バルピエ・ド・ラ・セールが考案したものは、厚紙のテープに点と線をを浮き出させてアルファベットを表し、兵士が夜間でも命令書を指先で”読める”ようにしたものだった。
結局、この提案は採用されず、大尉はこの方法を盲人学院に持ち込むことにした。
しかしこのシステムは、1つの文字を12の点の配列で表す複雑なものだったため上手く行かなかった。
ところがこの学院に入学していたルイ・ブライユという10代の眼の見えない少年が、このシステムに興味を持ち、簡略化して現在のブライユ式点字システムを完成させたのである。