あとがき

このあとがきの執筆は編者(私)ではなく、ご協力いただいた方の寄稿文です。


【ノートリミング版(!)ワーテルロー】

このページで採り上げられているのは字幕であるが、 まずは例の字幕を用いて映画が放映されたことをお さえねばなるまい。

さる10月25日の深夜、NHK-BS2のミッドナイト映画 劇場枠で放映されたワーテルローは、テレビ放映で は本邦初のノートリミング、スコープ・サイズでの 放映であり、サイドカットされて見ることが出来な かった、左右の画面が見られるようになったことで、 私たちは本作の全カットを、今までは観られなかっ た、フィルム本来の構図で堪能できることとなった。

大砲の斉射や騎兵の突進、歩兵の横隊は、いっそう の美しさの中に迫力を増し、俳優の演技も、信書を 口述筆記させるナポレオンや、モン・サン・ジャン 高地で守勢を貫くウェリントンの、心のブレや動揺 が、手に取るように味わえる。 奥行きも画面に出て来た。会戦当日、白馬から降り たナポレオンが望遠鏡を手にとり敵方を一望しよう というその背後で、兵がぬかるんだ地面に草を敷く など、監督ボンダルチュクのつくりこみにあらため て瞠目させられる。

音質も極めて向上。VHSではヘッドフォンでも使 わなければ聴き取れなかった、タイトルバック直後 のチュイルリーの階段をネイ,スルト,そして侍従 が駆け上がって来る場面の音楽がハッキリと聴き取 れる。
現実音楽であるワーテルロー・ワルツ、戦場の行進 曲、軍鼓の響き。 そして戦い済んで火が暮れて、死屍累々の戦場にか ぶさるあの調べ。管弦の調べは彫(ほ)りが深くな り、私たちの肺腑を一気にえぐってくる。

映画『ワーテルロー』が、作り手が意図したであろ う形で、私たちの眼前に姿を現したのである。 そこに付されたのが、今回の字幕であった。

【字幕】

この字幕には、辞書の訳語をそのまま当てたような 訳文が目立つし、その必要性が感じられない場所に 意訳がほどこされ、その中には映画の筋を無視した ものも見受けられる。

極端な意訳がほどこされた原語の台詞の中には、前 後の台詞の流れの中で唐突不自然な言い回しに聞え る箇所もあるが、映画をきちんと観、登場人物の性 格や立場をつかんでていれば、なぜそのような台詞 が発せられているのか見えて来るはずである。

舞踏会の主賓として会場に入ったウェリントンが、 舞踏会のホストであり、素晴らしい余興を考えて行 わせたリッチモンド公爵夫人の手を取り、目を見つ めて言う
"You really are the best of my generals."
なのだから、この台詞は公爵夫人のことであって、 余興で踊った兵のことを言っているのではない (「まるで美の戦士だ」 )。

会戦でモン・サン・ジャンから全隊を百歩後退させ る直前に、ウェリントンがヘイ卿に言う "Take yourself for a run."
台詞の言い回しだ け見ていると、"逃げたまえ"とは たしかに唐突に聞えるだろう。しかし映画をきちん と観ていれば、先だつ舞踏会のシーンで公爵夫人が ウェリントンに、娘の恋人であるヘイを戦死させな いでと頼んでいるわけで、これが動機となって出た 言葉だと即座にわかるはずである(「伝令を」)。

会戦の一部始終を観て、ウェリントンの心の動き をきちっと追いかけたのならば、 降伏せぬ老近衛兵を砲火で一挙に根絶やしにした後、 彼我の戦死者が死屍累々と辺りを埋め尽くす中で、 彼らに殺させた敵グラン・ダルメの数々の骸 (むくろ)を、 自分の命令で死地に赴かせ、自分の眼前で戦死して 行った将兵を、見た上での独白…
"Next to a battle lost, the saddest thing is a battle won."
を、どうして 「敗北はむなしいが 勝ってもむなしさは残る」 などと、訳すことができようか?


※なお、今回、エンドクレジット末尾 『THE END』直前のプロデューサーの謝辞が はじめて字幕になった。ここに紹介しておきたい。

DINO DE LAURENTIS WISHES TO THANK THE SOVIET ARMY FOR MAKING THIS FILM POSSIBLE
この映画の実現を可能にした ソ連軍の協力に感謝する

THE PRODUCER ALSO WISHES TO THANK THE FIRST BATTALION THE GORDON HIGHLANDERS
ゴードン・ハイランダース 第1大隊にも-- 感謝の意をささげる

【私見:翻訳者へ】

いかに馴染みが薄い西欧の史劇であっても、劇映画 である以上、その根本は人と人とが織りなすドラマ にある。
登場人物の個々がどのようなキャラクターでどんな 立場にいて何を思い、どんな動機で何と言い、何を したか。そんな彼らがどんな係わり合いをして 結果どんな物語が出来上がっていったか。
ここをきちんとおさえて余所見をしなければ、大過 ない字幕が創れたはずである。

歴史や軍事の考証は知らない者には確かに厄介で、 何とかしなければと気を揉んだかもしれないが、 物語なくして劇映画は存在なし得ない。
あれもこれもと気がはやっても、与えられた時間が 限られているならば、まずやるべきことの他は切る しかない。
仮にどっちつかずになれば、その姿勢できちっとし た仕事は出来るはずもなく、その姿勢がゆえに最大 の不評と憤懣をこうむるのである。

専門家として見られている身だから、切り捨てたた め出来なかった事について受ける批判もあろう。
専門家である以上、形になったものについては、 社会の責任(せめ)を負わねばならないが、いかに 理不尽に思えようと、意欲に今の実力が追いつかな い現実は、あえてこれを受け入れ、他日を期するし かない。
そして、他日を期していただきたい。


DJANGO