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yoko

 メインページの序文にも書いたが、私の歴史サイトは総じて”HIS-STORY”真 実の物語を基本にしている。 特に称賛することもないし、特に非難することもしない。善悪というような二元的な捉え方はせずに、清濁ともに記載していくように心がけている。あらゆる出来事は隠そうとして隠せるものではないし、また詭わろうとしても 詭われるものではないからであり、過去の真実のみが歴史である。
 情報のない薄っぺらなHPは無価値であると思う。よってこのページもそうだが、ネット上でも指折りの長文揃いとなっている。ゆえに何らかの”音声テキスト読上げソフト”を使用することを勧めている。書いている本人でさえ、読み直すにはこれを使わないとやってられない状態だからだ。

挿絵3

ナポレオン!

 ナポレオンに対しての一般的な第一印象は、大別して二通りあると思う。それはすなわち、完全に美化された”英雄”像と破壊と戦争の神としての”食人鬼”像との二通りである。つまり簡単に言うと、善玉か悪玉かという正反対の印象に分かれるということである。
 日本においては、”革命の申し子””余の辞書に不可能の文字はない”と言った言葉が、まず第一印象の重要な部分を形作る。
そこには一日に3時間しか眠らずに執務したという伝説的イメージも強く作用することであろう。ここから生み出される”ナポレオン”像は、完璧なる人物、不敗の男と言ったイメージであり、庶民から皇帝になったという点では”秀吉”のイメージとも重ね合わされることであろう。
 逆にナポレオンを悪玉とするイメージを得た方には、 独裁者、戦争狂、女性軽視、世界征服を企む狂人といったことが頭に浮かぶのであろう。
さらに反キリスト者としての生前の悪評もこれを助長する。
 しかしこれらのイメージはどちらも”ナポレオン”を正当に評価していない、誤ったものである。前者のイメージは、セント=ヘレナでの作られた”伝説”の強い影響を受けており、全く不正確であって、後者は一部事実に基づくものの、現在の価値観で200年前を不当に見下していて、かつ昔の反ボナパリストが言及したことをそのまま鵜呑みにしているきらいがある。
 結局日本人の多くはそのナポレオンの知名度に比べて、彼のことを全く知らないことに驚かされるであろう。
 多くの人々のナポレオンのイメージがダヴィット画の「サン・ベルナール峠を越えるボナパルト」の絵画によって作られるであろうが、ダヴィットがフランス新古典主義の旗手にして歴史画家であるという事実を多くの人は知らない。
歴史画は古代の英雄的な主題に現代の出来事を盛り込むといった様式で、つまり一種のパロディ画のようなものある。写実的な要素はその主眼ではない。パトロンの意向に従って、人物を、精神的、英雄的に誇張して描くのを常としているからである。
絵画という表現技法のもつ雄弁さは言うまでもないが、そういった側面を知らずに形成されたイメージはどこか薄っぺらいものになりがちであり、注意が必要だ。
 ナポレオンについてしだいに深く知るようになると、こういった虚像は崩れ、きっと新たな印象を得ることであろう。それがどのようなものになるかは、個々が判断すべきことであるから、ここではあえて言及しない。自分で確かめてほしい。


さらにナポレオン!!

挿絵1  皇帝ナポレオンのすべてはその戦勝によって支えられていた。 彼の栄光はトゥーロンに始まり、イタリアにおいてのモンテノッテ、ロディ、アルコレらの戦場で開花し、灼熱地獄のエジプト、シリアでもその光を失わず、アルプスを越えて、モンテベロ、マレンゴでその頂点に立った。
 しかし20年間の栄光の日々もさることながら、ナポレオンの最大の歴史上の業績は、旧秩序・旧支配体制の”破壊”であろう 。
彼が欧州の歴史をまさに塗り替えたと言っても過言ではないのである。もちろん、彼の登場がもしなくてもいずれはこういった事態がおとずれたであろうが、この男の登場で歴史は個々の国の歴史から欧州全体の歴史へと飛躍し、次なる劇的な変化の時代が到来するのである。
 ただし彼は破壊者であっても生産者ではない。ゆえに新時代を築くといった事業は彼の仕事でもなかったし、彼の支配体制も従来の形を踏襲していた。その点では彼は旧世界の破壊の総決算として、自らの帝国とともに滅びる運命にあったとも言えよう。皮肉なことである。
 ”滅びの美学”という点では、彼ほどの人物は歴史上でも稀有といっても過言ではない。広く知られていないが、1813年・モスクワ遠征以後のナポレオンの方がもっとも劇的、かつ光と影が一層際立って、さながらレンブラントの絵画のように素晴らしいドラマがある。
この時期の彼は、戦勝も栄光も伝説も完全ではないが、それゆえに人間ナポレオンの素顔と苦悩が浮き出てくる。歴史的な仮定を想い馳せるにしても、この時期ほど不確定で面白く、生か死かという緊迫感がある時期はない。またこの時期のナポレオンをどう見るかによって、狂人か天才かといった極端な評価から、指揮官としての能力まで評価が分かれるであろう。
 さて業績を軍事面に限定して考えるとすると、彼本人が一大革命的・新戦術を考案したように、一般に誤解されがちであるが 、特にそういったわけではない。元来、軍人にとって完全に独創的手法というのは、危険以外の何者でもないの である。 そういった奇抜な手法の失敗は恐るべき結果をもたらす。古今の多くの名将は常々、先人の手法に学び、発展させていったものであった。古代中国・斉に仕えた管仲は老馬からさえも教えを請うたものである。(”老馬の智”の故事) 二千年以上昔の孫子の兵法やローマの軍法が長く珍重されてきたのも、こういった理由による。戦術が大きく変わるのは、天才の出現によるのではなく、武器の発達によることが実はほとんどなのである。
この時代の武器の画期的な進歩は半世紀のちであり、施線後装銃と薬莢の発展 を待たねばならない。
 一方、政治面をみると、彼の業績はより限定される。彼の権力は戦勝によって 裏打ちされていたから、彼の政治、ボナパルティズムも征服戦争にほとんど重点があった。ゆえに彼は際限の無い、戦争の泥沼に体をドップリ埋めることになるのである 。 だから政治家ナポレオンとしては、特に見るべきものはないのであるが、”革命の申し子”として革命の成果を不滅の「ナポレオン民法典」としてまと めさせたことが彼のこの点の唯一の業績であろう。
 「この個人こそ、今この一点に結集して、馬上にまたがっていながらも、同時に世界をわしづかみにして、これを支配しています」とドイツの哲学者ヘーゲルがいったように、ナポレオンは世界史的個人として、歴史の一ページを個人で体現する人物であり、功罪を抜きにして、それがこの人物の最高の業績であろうか。


もっとナポレオン!!!

 17世紀にもなるとその場限りの傭兵軍隊から、よく整備された常備軍の軍隊 へと移行し、連隊ごとに揃いの制服が支給されるようになると戦場の様相は一変した。
戦場はさながらバロック・モードのファッションショーのようにきらびやかな ものとなり、絶対君主たちは自らの軍隊の美しさを競い合った。また軍隊は隊形戦術を重んじ、歩兵隊は2列ないし3列の横隊を組んで戦場に 整列したから、大規模な会戦ともなれば、それは壮観な眺めであった。
 ナポレオン戦争もそういったヨーロッパの戦争の流れをくんで、戦場にはきら びやかな騎兵たちがその勇を競った。ナポレオン戦争は戦争にはロマンがあると言い張れる最後の戦争であった。戦場には人馬がおどり、人対人の白兵戦が繰り広げられた。小銃はよほど近づかなければ、存外、命中せず、戦場は死を怖れぬ勇者に栄光 が輝いた。兵士は名誉を誇り、不名誉を恥じた。
なんというノスタルジックな戦争であったことか。戦場にはまだ中世の残像が残っていたのだ。
 しかし近代の足音はすぐそこまで迫っていた。産業革命の猛烈な蒸気とともに。軍隊は傭兵(志願兵)制から本格的な徴兵制度の時代に様変わりし、軍隊の兵力は一気に倍増した。戦場に相対する兵力が増えたことで、当然、死傷者も増大した。大規模になった軍隊を機能的に機動させるために、新たな軍制が採用され、軍団=師団=旅団=連隊=大隊といった近代的な編成 になった。機能的になった軍隊はより機械的に機動し、より効率的に人を殺せるようになったのだ・・・。
 ナポレオン戦争は過去と現在、時代と時代のちょうど分かれ目であった。戦場に栄光がきらめいた最後の瞬間であった。ロディの橋の上において見せた若きボナパルト将軍の勇気が、彼をイタリアの覇者に、そしてヨーロッパの帝王に押し上げたのである。この時代、戦場においては勇気だけが自分の味方であり、勇者だけに栄光が輝いた。
もちろん、戦場はいつだって屍と血の海にはかわりなかったが、それはすくなくとも血の通った人間の戦争だったのである。

挿絵2  この時代の戦争の一つの特徴として、以前は貴族と傭兵の仕事であった戦争が、革命以後、国民軍になったために良くも悪くも国民が戦争に直接かかわるようになり、戦争が人々の大きな関心事になった。 また徴兵によりかっては兵隊にはならなかった知識人やその子弟などが入隊したため、軍隊の識字率があがり、かっては元帥や将軍など一部の人しか手記はつけなか ったものであったが、一兵卒や非戦闘員の従軍者なども気軽に手記をつけるようになった。
 というわけでナポレオン戦争に関しては非常に多くの資料が残っている。しかも権力者が作らせたものでない、生の記述がほとんどで、記者も若い女性から町の老人まで様々である。ゆえにあらゆる視点で戦役・会戦を見つめ直し、再構成することができる、近代始まって以来、初の戦争であったのだ。
 ナポレオニック戦記の魅力はそういったところにあるであろう。
つまり小隊の一兵士の戦闘から、半旅団の戦闘、10数万の大会戦、60万の大戦役と、全体から個々へ個々から全体へと話はおよび、全視野的な戦記物語であるのだ。前にも言ったがナポレオン戦争は、近代的要素と前近代的−中世的要素がミックスした戦争であったから、機械的で機能的な組織、長期的な作戦プラン、軍需産業を含めた総合戦などなどとともに、勇気と名誉を重んじ、人馬一体となった攻防、忍耐と足による電撃戦、会戦というものが人間的な格 闘の要素を多く含んでいた。ゆえに戦場には常に手に汗握る活劇が展開されていた。10メートル以内の近距離で横隊同士の銃撃戦、衝撃戦法−歩兵の密集突撃、 華麗なる騎兵の襲撃。そこには、絶叫の雄叫び、刀剣が舞い、血飛沫、大砲の轟音、阿鼻叫喚、死屍累々、ラッパの号令、馬のいななき、馬蹄の音、・・・そして血の海のなかに勝利と栄光があった。
 ナポレオニック戦記はこういった戦争をロマン主義的に、より劇的に書きあらわす、ノスタルジックで刺激的な物語である。

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